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晩夏を過ぎた、初秋の夜
いつになく寝付けず苛々し始めたことに気づく
やがて諦めて寝床を這い出し、縁側で月を眺めた
「・・・はぁ」
ぼんやりと雲に霞む月を眺めながら、一つため息を吐く
目線を外し、己の両の手を見つめまた一つ
憂鬱な気分が晴れることはなく、ただ夜風に髪を弄ばれた
「うぅ・・・」
特に意味もなく、手を握り締めたり開いたりを繰り返す
何の気なしにやっているとは言え、その行動が全てを物語っていた
「・・・血が、」
欲しい・・・
体が、血を欲している
疼く両手を理性で抑え付ける日々は、苦痛しか伴わない
こんな静かな夜になると猛る己が血は、他の生き物の血を求め、騒ぐ
動物では物足りない、もっと他の、己と近しい生き物の血を・・・・
こんな月が出る夜は、決まって自分が殊更残酷になるのを感じる
「・・・・ころ、し・・たい」
やがてどくどくと騒ぎ始めた体中の熱を持て余しつつ、呟く
理性までもが、本能に蝕まれてゆく
けれどそれは間違ったことではないのだ
己は壊すために生まれ出でたモノ
異端のバケモノだから
「・・・う、ぅ・・・」
呻き、抑えがたくなってくる血を渇望する本能を辛うじて押さえつける
そうまでして我慢するのは何のためなのか
自分を保護し、人として扱ってくれる者たちを傷つけたくない?
人としての意識がまだ残っていて、バケモノになるのを拒絶するから?
それとも―・・・・
「・・千鵺」
反射的にびくつく体を隠すことは出来ず、突然の訪問者にただただ驚く。
大きく目を見開き、体から冷や汗が噴出す。
心臓の音が酷く煩く感じた。
「また、発作が出たのか」
「さ、すけ・・・」
荒く息を吐く千鵺とは対照的に、佐助は静かに千鵺に問いかけた。
冷静そのもの、欠片も動揺しているようには見えない彼の目は、酷く悲しそうだった。
ようやく落ち着いてきた心臓を軽く押さえ、千鵺は質問に答えることなく、大きく息を吐く。
隣に腰掛けていた佐助がこちらを見ていることに気づいても。
それにあえて応えようともせず、ただ月を見つめた。
いつの間にか、血を欲する衝動は治まっていた。
「・・・・・落ち着いたか」
「・・うん」
「もう宵の刻だ・・・寝ろ」
「・・・・・うん」
ぽつり、ぽつり、と呟くように返答をする。
何故だか申し訳なくもあり、佐助を悲しませてしまったことが辛かった。
自分でもどうしようもないことではあるのに、それを悟られたくないという思いが常にある。
それでも佐助は佐助で、常に気づき助けたいと願っているのだが。
それは本人のみぞ知ることでもある。
「おやすみ、佐助」
「・・あぁ」
落ち着きを取り戻した千鵺が、部屋に戻るべく立ち上がり、挨拶をする。
佐助は千鵺をじっと見つめたあと、短く答えた。
千鵺はそのままくるりと方向転換をし、部屋へと消えていく。
その後姿を、佐助は見えなくなるまで見つめ続けていた。
心癒されたのはいつだったろう
あの日から
庭の桜は花をつけなくなった
かさりと僅かに音を立てつつ、草の上を歩む。
何をしても気づかれないようなそんな気がして、千鵺は姿を隠すのをやめていた。
「ふつー気づかれるよね、何でこんな堂々としてんの」
笑いながら自分で自分につっこみつつ、竹中半兵衛の居室を探す。
まだまだ余裕たっぷりで、辺りを散策していた。
けれど既に今は夕刻を過ぎ、宵闇が辺りを覆う頃。
僅かに人影が見えるくらいから、やがて黄昏の時が近づく。
誰そ彼・・・すれ違う人の顔すらわからぬ、逢魔が時。
見る見るうちにそれも過ぎ、辺りは完全に闇が覆う。
若い女子の千鵺は、それでも平気で場内探索を実行した。
闇こそ千鵺の生きる場所だった。
「さて、本日は月のない、絶好の暗殺日和になりました」
独り呟き、にこりと嗤う。
軽く準備運動を兼ねて、城の屋根へと飛び乗った。
「さぁ、そろそろ遣りますか」
屋根から、小柄な人影が掻き消える。
音すらなくその場から姿を消した少女は、次の行動に移っていた。
探索がてら見つけていた、標的の部屋へ忍びこむ。
「見ィーつけたぁ・・・」
標的、豊臣が軍師、竹中半兵衛。
「ねぇ・・あなたはどれだけ楽しませてくれる・・・?」
束の間、降り注いだ月の光が、妖しく千鵺の姿を浮かび上がらせる。
月は瞬く間に姿を消し、まるで異形のようなその姿を、見た者は誰もなかった。
その頃、武田側。
腕を組みつつ仁王立ちし、何かを考え込む城主の姿があった。
傍らに額ずく若者は、心配げに眉ねを寄せながらも口を挟まない。
月も見得ぬ闇を見据え、主はただ難しい顔をして、黙っていた。
その心にあるのは、小柄な少女のことだった。
「・・・幸村よ」
やっと、静かに主が発した声に、若者が顔を上げる。
己が主の顔を真っ直ぐに見上げ、ただ一言、返事をした。
「・・はい」
「お前は千鵺のことを、どれ程知っておる?」
「・・・・」
そういわれた後、返事を返すことが出来なくなった。
よく考えてみれば、千鵺のことなど欠片も知らないことに気づく。
ある日突然現れ、なし崩し的にお館様に保護された千鵺。
幸村は主の考えたことだから、と否やは唱えなかった。
保護されたその日から、千鵺の立場はただ「居候」だった。
1年後、ある事件が起きて自分に並び立つ地位を彼女が手に入れるまで。
それからまた1年のときが過ぎても、彼女のことを知ることはなかった。
どこで生まれ、何故ここに来て、今の地位を手に入れたのはどうしてか。
佐助も込みで仲は良かったのに、それを聞くのは何故か憚れて、今に至る。
知っているのは、彼女の名前だけ。
「・・・・知っているとは到底言えぬほど、でございます」
目の前に突きつけられた現実に多少傷つきながらも、正直に返す。
唐突に、千鵺のことを何一つ知らなかったのだと、気づいた。
「・・そうか、千鵺は自分から己のことを語らん女子じゃからのぅ・・・」
幸村は考え込みながら黙って続きを待った。
「・・千鵺は、わしが拾ってきた・・・そうじゃな?幸村」
「はい」
「あれは突然戦場に現れ・・そしてわけもわからぬまま近くにいた者に縋ったのじゃ」
「は?戦場に、でございますか」
きょとん、とした幸村の顔を見ず、宙を見据えたまま頷く。
拾った当時のことを思い返しながら。
「そう、あれは・・・上杉との戦の折・・・」
ぽつりぽつりと語り始めた主の声に、ひたすら耳を傾けた。
初めて聞いた千鵺のことに驚きながらも、ただ一心に。
予想を遥かに超えた千鵺の生い立ちに、幸村は酷く驚いていた。
けれどそのことに気づいた者は1人もなく、音すら聞きとがめられなかった。
ここまで簡単に忍びこめるのも、何だか味気ない。
たとえそれがいつものことだとしても。
「さぁて、どっから手をつけましょうかねー」
柱の陰に寄り添いつつ、思案を巡らせる。
お館様の元を辞してから、千鵺はすぐに標的のもとへ来ていた。
仕事は迅速にこなす、それが千鵺のモットーだった。
「てか・・ここ、一体どこでしょ・・・」
きょろきょろと辺りを見回し、呟く。
ここは大阪、豊臣の本拠地・・・・ではなく。
豊臣が軍師、竹中半兵衛が治める稲葉山へ来ていた。
「如何な大軍とて、頭獲っちゃえば力も半減よ」
そういうことで選んだ場所ではあったが、如何せん、城の見取り図を見ずに来てしまった。
とりあえず忍びこんだはいいものの、今自分が何処にいるのかさっぱりわからない。
相変わらず辺りを見回しつつ、千鵺はため息を吐いた。
「やっぱ佐助に聞いとくべきだったかー・・・」
今更思ったところで後の祭りであることは重々承知済み。
ならば。
「天辺まで行ったら何かわかるかな」
にっ
不敵な笑みを満面に湛え、千鵺は動き出した。
目指すは城の頂上。
隠れていた柱の陰から、次の陰へ移っていく。
陰がするすると移動していく様は、何故か不自然には見えなかった。
その頃。
「お館様、如何なされましたか」
主君武田信玄の元へ、赤い鎧を纏った半裸の男が近づく。
頭に鉢巻をして、赤白の衣を纏うまだ若い男は、信玄に仕える武将だ。
名を、真田幸村。
佐助が仕える主であり、千鵺の同僚でもある。
「うむ・・・幸村よ」
「は、」
押し黙っていた信玄が口を開く。
幸村は黙って続きを待った。
「千鵺は、既に発ったか」
「は?」
予想外の問いかけに、間の抜けた声が出てしまった。
幸村は戸惑いながらも、主の問いに答えた。
内心では、この答えを主が知っているということを理解しながらも。
「は、千鵺なら、とうに目的地へ着いている頃ではないかと」
「そうか・・・」
そう答えた幸村に、意識のない声で応える。
そんなことは信玄にだってわかっていた。
けれど問わずにはいられなかった、ということは、幸村には理解できまい。
信玄は遠くを見つめながら、未だ悶々とする心中を持て余していた。
静かな声で己の登場を伝え、その場に跪く。
彼の人は、仮にも己が主だから。
普段敬意を払わずとも、ちゃんとしたときにはきっちりする。
それが千鵺の性格だった。
「うむ」
千鵺が来ても背を向けたままだった人影が、一言唸る。
何か重要なことを考えているのであろうその人の邪魔を、千鵺はしない。
それが何より愚かしいことだと、知っているから。
しばしの沈黙のあと、人影は振り向き、目の前に跪く千鵺を見た。
「御呼びとのことでしたが」
振り向いたことを気配で察し、先んじて声をかける。
主が何かに迷い、考え込んでいるのが手に取るようにわかるから。
そこから救い出せるのは、己だけ、と何故か理解していた。
「・・・うむ」
また一言、唸る。
何が彼を悩ませるのだろう、そう思って、気づく。
あぁ、彼も、本当は私に破壊をさせたくないのだ、と。
それでも、無駄に命を消すわけにはいかないから、彼は悩むのだ。
こちらと立てればあちらは立たず。
将であるがゆえの葛藤は、いつだって皆を苦しめる。
それでも千鵺は理解していたから、自分からこう進言した。
「お館様がお決めになられたこと、私に異存はありませぬ」
さぁ、命令を
すぅ、と顔を上げて己が主の顔を真正面から見つめる。
本来ならば主の許しを得てから、の行為。
それを咎められないのは、相手が千鵺だから。
「・・・・千鵺、」
それでも何かを躊躇するように名を呼ぶ声を、故意に遮る。
言わせてしまえば、きっと何かが狂ってしまう。
それでは意味がないのだから。
「お館様」
真っ直ぐな瞳で、恐怖も後悔も、悲しみの色さえも映さず、ただ見つめる。
その目は、明朗に千鵺の心情を物語っていた。
恐怖もない、後悔もない、悲哀もない。
けれど、悲壮な覚悟の色。
千鵺は自分の役回りを、誰よりも理解していた。
そうして生きるためだけに生み出されたものだから。
「・・・千鵺、お前に命ずる。
戦線を駆け、豊臣秀吉を討つのだ」
苦しげに吐き出された言葉を、千鵺はそのまま受け止めた。
これで決まった。
豊臣を、滅ぼす。
「御意のままに」
頭を下げ、意を受け取ったことを態度で示す。
そうして主の返事を待たず、千鵺はその場から掻き消えた。
あとに気配すら残さずに。
その場に残った主が眉を顰め、千鵺がいた場所を見つめ続けていたことは。
千鵺の知る由もないことだった。
そよぐ風も
風に遊ばれる木の葉も
木の葉が覆う大地も
全てが愛おしかった
心の底から、ただ愛おしいと思えた
「千鵺」
秋晴れの、爽やかな風吹く穏やかな午後。
自分を呼ぶ声が聞こえたのは、満腹を抱え柱に寄りかかっていたときだった。
「なぁに、佐助?」
声の聞こえたほうへ顔を向けることもなく、問い返す。
姿がそこにないことを知っているから、見ようとは思わない。
余は満足じゃ、とでも言いたげに、目を細めて返事を待った。
「・・千鵺、せめてこっちに目くらい向けてもいいんじゃない?」
すたん、と軽い音が聞こえる。
いつの間にか空から降ってきたかのように、黒の忍がそこにいた。
「いっくら昼飯後で満足したからってさ、それはないでしょー」
そちらに目をやれば、呆れて腰に手をあて、こちらを見る忍の姿が見える。
すぐに目線を元の位置に戻し、答えた。
ただし、ものすごくだるそうに。
「姿見せないまま言われても、答える気がしないの、当たり前でしょ」
「でも俺様がどこにいるかはわかってんだろ?」
「わかってるけど、上目線すぎてむかつくから見ない」
「えええぇ・・・」
心底面倒だというかのように答えれば、相手が脱力したのがわかった。
そんな姿をちらりと横目で見て、すぐ目線は元の位置へ。
佐助を見続けていても面白くはない。
「で、何なの」
ちらりと忍を見上げ、付け加える。
「いつもお忙しい真田人軍頭領の猿飛佐助様が、このような小娘如きに如何様なご用件で?」
馬鹿にしているように丁寧に問いかければ、忍がむすっとした顔をした。
腕を組み、気を悪くしたとでも言うかのように千鵺を見る。
そんな顔をしたところで、全く意に介さないというのに。
千鵺が全く表情を変えないのを見て、佐助は再び脱力して、言った。
「・・その言い方、やめてくんない?
いっくら最近忙しくて構ってやれないからってさぁ
旦那も同罪だろ?」
「ゆっきーはゆっきー
佐助は佐助
責任なすりつけんのやめなさいね
ちなみに同じ反応返してますのでご心配なく」
「・・・一応俺様の主なんだけどなぁ」
「だから何」
「・・・・・・・千鵺には敵わんねぇ」
はぁ、とため息を吐いた佐助を無表情に見上げる。
そんな言葉に心動かすような人間なら、まず先ほどのような言葉は吐かないものだ。
「で、ほんとに何のようなの
まさか機嫌取りのためだけに来たんじゃないでしょ」
「・・うん、まぁそうなんだけど、はっきり言われちゃうと切ないねぇ」
「どーでもいいからはよ言え」
「はいすみません」
一旦謝ったかと思うと、佐助は表情を厳しくさせて、千鵺を見つめた。
これが仕事用の顔だということに気づいたのは、いつだったろう。
千鵺は佐助の顔を見ながら、ぼんやりと思った。
「お館様がお呼びだ。
近々、大きな戦になる。
相手は豊臣秀吉・・・竹中半兵衛が軍師だ
千鵺・・・お前の力が、必要になる」
低い声で告げられるそれは、まるで死刑宣告のように思えた。
何故、心穏やかに過ごせない。
人は忙しい生き物だということを、忘れてしまっていたかのように。
「・・・・わかった」
目線をゆっくりと忍から外し、元の位置へ。
すなわち、庭の花のついていない桜の木へ、静かに戻した。
私が力を使うたび、何かが失われる
そのことを彼らが知らぬはずもなかろうに。
そう思えど、千鵺に断るという選択肢は、初めからなかった。
それは昔も、これからも。
目を閉じて、全てを遮断する。
憎いものなど、千鵺にはなかった。