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翌日から、男と少女の不思議な共同生活が始まった。
何しろ突然現れた少女は、幼い故か『普通に』生活することもままならなかった。
実際には生きていた環境の違い故なのだが―――――。
火のお越し方から蝋燭に灯す方法・水汲みの仕方、薪の拾い方等。
一から教えなくてはならなかったのは男にとって多少不運だったといえるだろう。
ただ幸運なことに、男はその外見からは見えぬほど細やかな性格をしていた。
少女にも丁寧に根気よく教えたことで、少しずつではあるが上達していくのが目に見えてわかるほどになった。
「安芸、水を汲んできてくれるか」
「はい」
男が安芸にお願いをすると、こっくり頷いて背を向け、戸を抜けていった。
その後姿を見送り、自身は朝食を作るため火を熾す手はずを整える。
森の朝は早く、今は多少明るくなっているとは言えまだ暗いほうに分類される。
こちらへ来て既に2週間のときが経過しており、安芸も男もこの奇妙な共同生活に慣れてきていた。
火を熾すことと料理は男が、水を家の側にある小さな井戸から水を汲むのは安芸が担当していた。
安芸もかつて住んでいた家で、今よりももっと小さな頃から料理を学ばされて来たため作ることは可能だったが、男のほうがはるかに手早く簡素でありながらも美味しい料理を作れた為、必然的にそうなったのだ。
男の家事の腕は幼い安芸が見ても舌を巻くほどだと思うほど手馴れていた。
もとより器用なこともあるだろうが、それほど長い間1人で暮らしてきたから故だろう。
孤独な雰囲気を纏いながらも、それが自然に見えてしまうのが安芸には不思議でならなかった。
「あにさま、お水を汲んで参りました」
「あぁ、こちらへおいてくれ」
水を汲んできた安芸が男へ声をかけた。
男の名は拾われた日に教えてもらったが、呼びなれない音の名に安芸が戸惑ったため、『血の繋がりのないおにいさん』という意味でそう呼ぶことにしていた。
うんしょ、と小さく呟きながら、木製の桶を男の側に置く。
男は安芸が汲んできた水を丸ごと鍋に入れると、それで汁物を作り出した。
出汁をとるために干し魚や干したきのこなどを入れ、一煮立ちさせるとその間に切って置いた具材を入れる。
やがて火が通ったことを確認すると塩で味を調えて終了だ。
安芸の生まれた国では汁物は味噌で味をつけるのが一般的だったから、塩だけというのは大層驚いた。
しかし実際に食べてみると、出汁や具材の旨みが塩で引き立ち、とても美味しいものだと知った。
文化の違いや環境もまるで違う世界に来て、それでもなんとか生きていけるのは男が自然を愛し、それらの良さの引き出し方を男が心得ていたからこそだろう。
男の生活は質素でありながらも、日々が穏やかに過ぎていくものだったのだ。
安芸は男から新しい知識を得られるとその喜びに目覚め、自分から進んで雑事を引き受けるようになった。
そうして自分なりに考え、自分の技として習得していく。
その過程を安芸は愛していたし、安芸の勉強熱心な様を見ている男の目も穏やかだった。
いつまでもこのようなに日々が過ぎていけばいい。
過ぎていくはずだ、と思っていたのは安芸だけではなかったはずだ。
けれどそれを嘲笑うかのように、ある日状況は一変した。
「・・・・あにさま?」
目が覚めた安芸が、寝惚け眼で辺りを見回す。
蝋燭の火を吹き消しただけで真っ暗になる夜、怖くないようにと男が自分の寝具の側に安芸のベッドを設えてくれたので、頭を僅かにでも横へ倒せば男の姿が視界に入るはずだった。
それが、今朝目に入ったのはもぬけの殻のベッドだった。
安芸は目を擦りながら自分のベッドを抜け出すと、男の寝具を探ってみた。
もはや冷たいシーツの感触に、淋しさを覚える。
さわさわと布団を暫し触った後に自分以外の人の気配がない小屋を振り返る。
何故1人になってしまったのかなんて理解できるはずもなかった。
けれど安芸には一つだけ、無意識に感じ取っていたことがあった。
それは、男は二度と安芸の前に姿を現さないだろうということだった。
「・・あにさま、何処へゆかれたのでしょうか」
大人びた口調で呟いた安芸の瞳に翳りがさす。
まるで漆黒の闇のようなその目は、何物も映さないかのように見えた。
安芸は心がどんどん重くなっていくのを感じながら、ただ傍らのシーツを握り締める。
「何処へ・・・?あにさま・・・」
長いまつげが影を落とす。
安芸はただただ、恋しい人の名を呼び続けた。