[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
私、みくしぃを初めてもう少しで2年経ちます
そんなことはまぁどうでもいいのですが
今日、友達の子の日記の題名が
何で生きていたいのか?そんなタイトルでした
去年の今日、友達はある子にそんな質問を受け
更に今幸せかどうか問われたそうです
そのときはどうした?くらいにしか思わなかったそうですが
結局その子はその年の夏に自殺してしまったそうです
今日がその子の誕生日だから、と友達はバイト後に墓参りに行きました
その日の日記で、友達もまた考えたのでしょう
何故ヒトは、生きていたいと思うのか
夢のため?好きな人・モノのため?
はたまた死ぬ理由がないから?
そんなことを書いていました
私が生きていたいと願うのは、とてもちっぽけな理由からです
好きな本や漫画やゲーム、はたまた映画
まだまだ観たりない、遊び足りない
色んな場所にも行きたい
やりたいことなんていくらでもある
おまけに、私は両親のすねを齧って生きています
恩なんて欠片も返していないのに
迷惑かけるだけかけて死ぬなんて、絶対に出来ない
だから今は、死のうとは思いません
昔も今も、辛いときや虚しくなったとき
死について延々と考えていたりしました
どうして死んではいけないのか、とも思ったりしました
生き死には自分の自由にはならないのか?
それでは産まれてから死ぬまで、ずっと自由はないのか?
そんなことばかりぐるぐるぐるぐる考えていました
周りが悲しむから死んではいけない、と誰かは言いました
それでは生き地獄と同じではないか
親から貰った体なのだから勝手に死んだら親不孝だ、と誰かが言いました
それでは子供は死ぬまで親の所有物か
そう反論したくなったりもしました
けれど結局は
私は親を悲しませたくないのが、一番死ねない理由なんだとわかりました
我が儘ばっかり言って生きてきた負い目もありますが、何より
私にとって両親は大事な大事な人たちだからなんです
家族も家族同然に付き合いのある従姉妹も仲良くなった友達も
皆とまだまだ一緒に居たいから、死ねないんです
私はチキンなので、痛いことは大嫌いです
痛みを感じて死ぬのが心底怖いから、ということもありますが
死ぬ方法なんていくらでもあります
痛みのない死に方も、この年になれば情報として入ってきます
死んでる暇なんてありません
生きていたい、そう考えるよりも
死ぬ暇あるならもっといろんなことをやるよ
そういうことです
自殺してしまった子は、病気で悩んでいたそうなので
きっと色々考えていたのでしょう
本当は、死にたくなんてなかったのでしょう
死にたい理由 死にたくない理由
生きたい理由 生きたくない理由
それは人それぞれですから、自分の考えを押し付ける気はありません
ただ、誰かがいなくなるのはとても寂しいということだけは
頭に入れておいて欲しいと思います
死ぬ決意をしたとき、ヒトはきっと自分のことしか頭にない
でも少しだけ、考えて欲しいと思う
例えば親しい子が、自殺してしまったとき
自分がどんなことを思うのか
例えば自分の子が、自分より早く死んでしまったとき
受ける衝撃は、並みのものではないのでしょう
少しだけ、死を選ぶ前に
思い出して欲しいと思います